2019年05月27日
あさがお
小学生が最初に育てる植物として定番のあさがお。
1年生であさがおを育て、2年生でひまわりを育てたなあ。
通勤途中、歩道の脇に植えられたつつじの足元で、ひっそりと咲くあさがおを見つけた。
きれいな色合いで、可憐に咲いていたので、思わず足を止めて撮影した。
もうすぐ梅雨が来て、夏が来る。

1年生であさがおを育て、2年生でひまわりを育てたなあ。
通勤途中、歩道の脇に植えられたつつじの足元で、ひっそりと咲くあさがおを見つけた。
きれいな色合いで、可憐に咲いていたので、思わず足を止めて撮影した。
もうすぐ梅雨が来て、夏が来る。

2018年02月06日
洋式トイレとノロウイルス

自宅近くのとんかつチェーン店にときどき行くんだけど、数年前から洋式トイレに
「ノロウイルス感染症予防のため、トイレのふたは閉めてから流しましょう」
と書かれるようになった。
どの程度の科学的根拠があるのか知らないけれど。
一方、大分県内の某大学病院の院内トイレ。
ふたの締めようがない・・・。
2018年01月17日
Have you ever seen the rainbow?
今日は晴れたり降ったりの変な天気だった。
ふと職場から窓の外を眺めると、きれいな虹。
虹はしばしば見かけるが、半周全部が見渡せる虹には意外とお目にかかれない。
しかも今回は二重橋。
ガラケーで撮った写真では上手く再現できず。
渡辺美里の「虹を見たかい」を口ずさんでいたら、キョトンとする人と知ってる知ってるという人が見事に分かれた。
「すぐそこにみえる虹の端っこのところまで走っていったら、レプリコーンが金塊を入れたツボをもって待ってるよ」
と言ったら、みんながキョトンとしていた。
Do you wanna chance, do you wanna kiss?
Have you ever seen the rainbow?
2018年01月09日
柞原八幡宮の竹宵
新年7日、松の内が終わろうかという朝に、初詣を二社しか終えていなかったことに気付いた。
三社詣しなきゃ、ということで、縁起を担ぐ私と次男で、近所の柞原八幡宮にお参りした。
柞原八幡宮は大分市の西部にあり、裏手にはおさるの高崎山の登山口がある。
寂びた趣のあるお社だが、知る人ぞ知る見事な紅葉を誇り、県外からも挙式の前撮りなどで訪れる方がいらっしゃるという。



長い石段があるのでお年寄りには不向きかもしれないが、参道入り口の手水舎からして風情がある。



参道を登っていくと、道脇に竹がたくさん置かれている。
地元の町内会や小中学校の取り組みで、宵闇に竹灯りをともす取り組みをしているらしい。
この季節は寒いけれど、夏は風情があっていいだろうな。
三社詣しなきゃ、ということで、縁起を担ぐ私と次男で、近所の柞原八幡宮にお参りした。
柞原八幡宮は大分市の西部にあり、裏手にはおさるの高崎山の登山口がある。
寂びた趣のあるお社だが、知る人ぞ知る見事な紅葉を誇り、県外からも挙式の前撮りなどで訪れる方がいらっしゃるという。
長い石段があるのでお年寄りには不向きかもしれないが、参道入り口の手水舎からして風情がある。
参道を登っていくと、道脇に竹がたくさん置かれている。
地元の町内会や小中学校の取り組みで、宵闇に竹灯りをともす取り組みをしているらしい。
この季節は寒いけれど、夏は風情があっていいだろうな。
2018年01月05日
お年始とお墓参り

ここ数年、お正月を迎えると、きょうだいや家族を連れてお墓参りに行くことにしている。
「年末にお墓参りに行くもんじゃない」
「元旦早々お墓参りに行くもんじゃない」
という声をしばしば聞くけれど、そうは思わない。
思い立ったが吉日、先祖の前で手を合わせ、思いを馳せるのは、いつでもよいと思う。
もちろん、お寺の納骨堂にお世話になっているなどの事情があれば、配慮が必要だけれど。
同世代の親族・知人・友人が郷里を離れていくたびに、お墓参りのことを思い出す。
誰かが離れていくたびに、お仏壇にお参りする、お墓参りをする、という習慣もまた、失われていく。
実家の長男であるためか、折に触れてこうしたことが気にかかる。
今は大阪で仕事をしている大学時代の友人と、当時かなり真剣に、将来墓をどうするか、という議論をしたことがある。
彼はいま、実家のお墓をどのように扱っているのだろう。
実家の墓はちょっと辺鄙なところにある。
長く急な坂を登ったところにあり、すぐ隣に会社の保養所が立っている。
保養所の方があとからできたのでやむを得ないのだが、なんだか気の毒な気分になる。
不便だし、周りに気を遣うし、檀家になっているお寺の納骨堂に引き移ろうかと何度か考えた。
しかし、駐車場に来て、この眺めを見るたびに、ご先祖の気持ちを思うのだ。
別府湾と高崎山、時には遥かに四国を臨むかんなわならではのこの立地に、ご先祖はこだわったのではないだろうか。
いつも併せてお参りする母方の実家の墓所は、扇山の麓の大規模な霊園の一角にある。
2年前の地震のとき、この地域の揺れも大きかったようで、傷んだお墓を多数認める。
母方の実家の墓所も花生けが傷んでいた。
いまだに水漏れがひどく、花生けの用を成していない。
今度行くときには、水漏れを修繕できる準備をしていこう。
2017年12月13日
心がへし折れそうになる瞬間
今朝の別大国道での一コマ。
両手の小指に寒さというより痛みを感じながら自転車をこいでいたら、電光掲示板が点滅していた。
こんな海沿いの幹線道路で、「凍結注意」もないだろ、と思いながら。
いったん通過して、思わず引き返して、二度見して、写真まで撮ってしまった。
「凍結注意」もないだろ、というのは失言。
確かに、数年前に凍結していた。
くっそーと思いながら、へし折れそうな心でこぎ続けていたら、別府に入ってからいいことがあった。
同じ職場のボイラー技士さんも、自転車通勤していて、声をかけてくれた。
彼はロードバイク、僕はマウンテンバイク。
ごっつあんですということで、スリップストリームに入らせてもらった。
Hさん、ありがとう。
おかげで救われました。
これを書き終わったら、帰途につきます。
帰りも誰か助けてくれないかなあ・・・。
2017年12月04日
温泉と再生可能エネルギー

私の実家のひとコマ。
別府の一区域、鉄輪(かんなわ)は、古い歴史を持つ温泉場で、いたるところからもうもうと湯気が上がっている。
ここを訪ねるならば、なんといっても11月から3月の間をお勧めしたい。
温泉の恵みを最大限に感じられるだろう。
夏場は高温多湿で、バカみたいに蚊が溢れていて、やってられない。
私は18歳までずっとかんなわに住んでいたので、暖房や蒸し料理、お湯というのは、温泉の熱を使うのが当たり前だと思っていた。
なにしろ、道路の側溝から温泉の湯気が上がっている。
暖房は、部屋の中に通したパイプからの熱気を送風するだけの簡単なもので事足りる。
蒸し料理は、この写真の左端2つにあるように、底から温泉の湯気が噴き出す地獄釜で調理する。
食材を入れたザルをおいて、蓋をして、あとはほっとけばいいのだ。
時間を気にせずほっとけば、あとは勝手に美味しくできてくれる。
余分な脂は落ちていくし、ほどよく塩味がつくし、手がかからない。
ごはんすら炊ける。
右端の湯釜には、24時間熱湯が沸いている。
いつでも熱いお茶が飲めて、カップヌードルが食べられる。
ガスの出番がないのだ。
省エネとか、再生可能エネルギーとかの言葉がない昔から、ここではこんな暮らしが続いている。
もちろん、夏場はやりきれないことこの上ない。
せいろの上に住んでいるようなものだ。
2017年12月03日
通勤手段と職場選び

仕事がらみのかたいブログばっかり書いていると疲れる。
ブログの本来の目的どおり、単なる個人的な日記を書くことにした。
といいつつも、今日はなぜ今の職場を選んだか、という話。
約5年前、思い切って職場を変えたのには、いくつかわけがある。
両親のこと。
自分自身の体のこと。
家族のこと。
通勤のこと。
もろもろ考えたとき、これらの望みをまとめてかなえてくれそうなのが、今の職場だった。
地球温暖化で南極の氷が解けていくと騒ぎながらも、毎日自動車で通勤している人がいる。
中国の大気汚染は深刻だと批判しながらも、毎日自動車で通勤している人がいる。
ジムに通って運動しないと中年太りがひどくなるとぼやきながら、毎日自動車で通勤している人がいる。
仕事で忙しくてたまにしか運動できないんだよねと、いつもエレベーターで移動している人がつぶやいている。
・・・おかしくない?
私の父の兄弟は、ほぼ全て糖尿病を発症した。
父が最初に脳梗塞で倒れたのは、ちょうど今の私の年頃だった。
だから、いつ私も発症するだろうかと、びくびくしながら生きている。
二酸化炭素の元になる化石燃料を燃やさずに、毎日運動をして生活習慣病にかかるのを遅らせて、なおかつ家計の支出を節約する。
そのために私が出した結論は、自転車で30分以上の有酸素運動をした上で通勤できる職場を探すことだった。
幸い、今の職場まではほぼ平地で、45-50分程度の自転車こぎでたどり着き、始業前にシャワーを浴びられる環境も整っている。
通勤路の交通量が多く、路肩を走っていて事故(加害者側としても、被害者側としても)の恐怖を感じることはしばしばある。
ただ早く走るだけではなくて、安全に走るスキルを、自転車通勤では要求される。
そんなわけで、スピードを犠牲にしてでも、私は破損やパンクのリスクが低いマウンテンバイクを使っている。
マウンテンバイクの草分け、Gary Fischerが私の愛車だ。
今ではTREKに完全に吸収されてしまったブランドだが、私の愛車はGary Fischerのブランド名が冠された最後期のモデル。
出来るだけ長く使いたい。
また、自転車通勤を始めると、自然と四季の移ろいに敏感になる。
天気予報にも敏感になる。
風向きにも敏感になる。
極寒、雨降りや逆風吹きすさぶ中での自転車通勤は、人生の艱難辛苦の縮図である。
それだけに、情報収集と準備は欠かせない。
雨が降りそうなときは、電車で。
電車通勤については、次回に。