2018年01月05日

お年始とお墓参り



 ここ数年、お正月を迎えると、きょうだいや家族を連れてお墓参りに行くことにしている。
 「年末にお墓参りに行くもんじゃない」
 「元旦早々お墓参りに行くもんじゃない」
という声をしばしば聞くけれど、そうは思わない。
 思い立ったが吉日、先祖の前で手を合わせ、思いを馳せるのは、いつでもよいと思う。
 もちろん、お寺の納骨堂にお世話になっているなどの事情があれば、配慮が必要だけれど。

 同世代の親族・知人・友人が郷里を離れていくたびに、お墓参りのことを思い出す。
 誰かが離れていくたびに、お仏壇にお参りする、お墓参りをする、という習慣もまた、失われていく。
 実家の長男であるためか、折に触れてこうしたことが気にかかる。

 今は大阪で仕事をしている大学時代の友人と、当時かなり真剣に、将来墓をどうするか、という議論をしたことがある。
 彼はいま、実家のお墓をどのように扱っているのだろう。

 実家の墓はちょっと辺鄙なところにある。
 長く急な坂を登ったところにあり、すぐ隣に会社の保養所が立っている。
 保養所の方があとからできたのでやむを得ないのだが、なんだか気の毒な気分になる。

 不便だし、周りに気を遣うし、檀家になっているお寺の納骨堂に引き移ろうかと何度か考えた。
 しかし、駐車場に来て、この眺めを見るたびに、ご先祖の気持ちを思うのだ。
 別府湾と高崎山、時には遥かに四国を臨むかんなわならではのこの立地に、ご先祖はこだわったのではないだろうか。

 いつも併せてお参りする母方の実家の墓所は、扇山の麓の大規模な霊園の一角にある。
 2年前の地震のとき、この地域の揺れも大きかったようで、傷んだお墓を多数認める。
 母方の実家の墓所も花生けが傷んでいた。
 いまだに水漏れがひどく、花生けの用を成していない。
 今度行くときには、水漏れを修繕できる準備をしていこう。

  

Posted by tak at 08:43Comments(0)環境